日本・ポーランド交流写真展(1999)

後藤元洋の写真行為について岡 俊蔵

 後藤の作品は、セルフ・ポートレイトと儀式的なインスタレーションによって表現されている。彼の作品にしばしば現われる『ちくわ』は、日本人にとって日常的な、なじみ深い食品として食卓にのぼるのだが、その来歴は室町初期に儀式用に調製されたものである。

 なぜちくわを選んだのかの問いに、彼は『私がちくわを選んだのではない。ちくわが私を選んだのだ』と答えている。その答えの信憑性は別として、彼にとって『ちくわ』は日常的なものであると同時に、非日常的なものの象徴として作用している。『ちくわ』は、魚肉を練り、塩を加え、竹のまわりにつけて火で焼くという儀式的な手法で作られ、また異様な形態をしているが、紛れもなく現在は庶民的な食品なのである。

 彼は、自分の『身体』と『ちくわ』とのコラボレーションによって、日常と非日常の境界線を溶融し、撹乱する。それはまた、内部と外部、意識と無意識、自己と他者、などの二項対立の溶融でもある(円筒形をした「ちくわ」は、内部と外部がつながっている。また、身体も口と肛門を出入口とした筒状であり、内部と外部がつながっている)。

 また、写真ということに着目すれば、19世紀のヨーロッパで発明された写真は「見る」技術の完成であるとともに視覚世界の秩序を創り出し、「見る」という行為を特権化することになったが、彼の写真行為は一方的に見ることの限界を越えて、『身体』と『ちくわ』を通じて、世界の眺めを変革していこうとする試みともいえるのだ。

 

おかしゅんぞう■

(日本・ポーランド交流写真展 1999)