後藤元洋自筆略歴

Autobiography

作品ダイジェスト

■1958年、神奈川県・川崎市のお大師さんの門前町に死産同然で生まれる。(そのため、身体が弱いので柔道を習う―身体への興味はこの時からだろう―)

■1962年、神奈川県・横浜市の新興住宅地に転居する。

■1980年、東京綜合写真専門学校入学。写真を始める。

■1981年、初のグループ展(「写真ごっこ」Gallery Eye Heart)にて会場に来た人と肩を組んだ写真を撮り、翌日展示するパフォーマンスを6日間行う。また、街頭にて同パフォーマンスで二百人の人と肩を組んだ記念写真を撮る。(初のセルフポートレイト的作品)
同年、ネパールにて曼陀羅・タンカを観、ブッタスティックなどを体験する。

■1982年、街頭にて、「あなたウルトラマンご存じですか? 身体表現お願いします!」パフォーマンスを行い、東京における身体的ウルトラマン認識度を写真にて記録する。
湯たんぽを持ち歩き、現実・時空・精神の「ズレ」を体験する。

■1983年、校内写真展で「日光写真―ナショナルキッド」にて重森弘淹賞を受ける。同賞賞品で夕張(北海道)を旅行する。
東京綜合写真専門学校卒業。
卒論「現実とのSMごっこ」を書く。
同校研究科進学。

■1984年、スクランブル交差点の真ん中、電車の中などでゲリラ的パフォーマンス「ダイ・イン」を行う。

■1985年、同校研究科卒業。
東京・目黒に友人らと「PAX Gallery」を設立(作家自身が企画運営するインディペンディトギャラリーで、オルタナティブなメディアとして展開する。1989年、閉廊)。
同年、同ギャラリーにて初の個展「とにカクやあーだもんね!‐N0 NUKE!‐」を開催。身体と世紀末と核の問題をテーマとする(以後'86 「24 級ハンカクあけ」PAX・'88「ズボンしわ伸し器」YCM-LUNA HOUSE・'88 「MIRR0RSEADES」PAXなど)。この時より今日までずっとセルフポートレイトを発表しつづける。

■1986年、個展「あやかりたい ノストラダムス・GOTOの大予言」をPAX Galleryにて開催。身体と精神をテーマにした教祖様シリーズを展開する。
同展に、来日中の米国写真家・ROBERT HEINECKEN氏が訪れ作品を評価、個人的な奨学金を受ける。

■1987年、教祖様シリーズ第二弾「Kyu Sei Syu ノストラダムス・GOTOの大治療」をPAX Galleryにて開催。雑誌「平凡パンチ」に「目黒にメシヤ出現」と紹介され、個展会場で大治療パフォーマンスを行う。
同年、教祖様シリーズ第三弾「GRATEFULDEAD」をPAX Galleryにて開催。旧ソ連在日大使館、二等書記官が訪れ仕事の依頼を受けるが、怖ける(旧ソ連のスパイになりそこなう)。
同年、静岡市民文化会館で開催された、「写真・映像フォーラム'87in静岡」に出品するが、作品が卑猥だとして撤去される。

■1989年、スーパーマーケットの冷蔵ショウケースの前にて「焼きちくわ」と運命的出会いをし、個展「焼きちくわ」をPAX Galleryにて開催。以後、「ちくわ」とのコラボレーション作品を制作する。
同年、東京・四谷三丁目に「FROG(Film ROund Gallery)」の設立に参加する。
以後、FROGを中心に個展を開催する。

■1990年、「国境を越えた―ちくわ―たち」シリーズを開始、香港で「ちくわ」をくわえたセルフポートレイトを撮影する(以後、1991年・中国、1992年・マカオ、1993 年・シンガポール)。
同年、M.Goto Photo Projectとして、「male self-nude photography」を企画し、FROGにて開催する。

■1991年、FROG解散。
同年、アートギャラリー京ばし「贅沢な床」展にてスルメ、お麩を使ったインスタレーション作品を出し、ギャラリーオーナーに「このへん野良猫が多いのよねー」と嫌みを言われる。

■1992年、平永町橋ギャラリー「絶唱仁右衛門島・胴欲の飛沫」展の会場構成を行う。
同年、静岡県立美術館県民ギャラリーで開催された「10th Photo SESSION」展にインスタレーション作品「イカれた博士の観察日誌」を出品。静岡にて、またしても顰蹙をかう。

■1993年、個展「天神さまより弁天さま、それにつけても・・・」を平永町橋ギャラリーにて開催。(ちくわのミイラを制作、セルフポートレイトと一緒に展示したインスタレーション展)。
同年、「ヨコハマポートサイド地区オープニング記念事業」のイベントに参加し、おじさん、おばさんには、眉を顰められ、若い子には、キャーキャー言われる。

■1994年、アユミギャラリーにてセルフポートレイト展「ナルシスの水鏡」を企画する。
同年、初の純粋な写真展「‐self‐」をPAST RAYS PHOTO GALLERYにて開催する。
同年、平永町橋ギャラリー「性の螺旋」展の企画に参加、20才前半の女性写真家の写真をたくさん見る。
同年、ボラロイドギャラリーにて開催された須田一政「光の挑発」展にテキストを書く。

■1995年、関西大震災の情報をTVで知る。燃え上がる神戸市長田区の空撮映像を見て、長田区に住む知り合いの写真家・美術家が心配になり電話をかけるが不通。知りたい情報は入手できず、しかし、膨大な情報が垂れ流されていた。
同年、スペース小倉屋「我盛」展にて、インスタレーション作品「オン摩尼焼竹輪蘇婆詞」で、アンデスメロンにGURUの脳波を送り高価なマスクメロンに解脱させる実験を行う。
同年、須田一政フロッピー写真集「Trance Trunk」(祥林舎)に、テキストを書く。
同年、ギャラリーフレスカ(東京)「Trance Underground Aquarium」展に、1996年にムルロア・ファンガタウファ両環礁で採取される巨大焼きちくわの写真を「コスモクリーナー=放射能除去装置」と共に出品する。

■1996年、隅田公園リバーサイドギャラリー「花HanaHana華」展に、「よいこの科学」を出品。90円のリトマス試験紙で隅田川の水質検査をし、発表する。
8月6日(有史以来初めて核が兵器として実際に使われた日)、ホカリファインアートギャラリー「ちくわ 皮 耳」展にて、『ちくわのミイラ』と『豚の皮』が、同一空間で有史以来初めての出会いをする。その場で、トークショー「ちくわに至るわたし」を行う。
同年、「平永町橋ギャラリー」(神田・東京)の雇われマスターになる。関西大震災で倒壊した家の下に生き埋めになりながら生きのびた、神戸の美術家から写真展の誘いがあり参加する。「今、写真は・猫屋ヴァージョン」ぎゃらり−猫屋猫吉 (神戸)

■1997年、「模造昇天都市」展(平永町橋ギャラリー)の企画に参加、同展に、金色の笹蒲鉾を出品する。
同年、平永町橋ギャラリーで佐川悟の初個展、「魅惑の幻想絵画展」を企画する。
同年、プレスリリースもDMもまったく出さず、秘密裏に個展「邪道痙攣気質」(平永町橋ギャラリー)を開催するが、6日間で作品を見ることができたのは、20人足らずであった。
同年、平永町橋ギャラリーにて、フォト霊師:須田郡司・ビデオショウを企画、「聖地巡礼シリーズ」を上映する。
同年、インターネット上の写真月刊誌「Internet Photo Magazine Japan」の2月号「Special−Gallery 21」」に作品を載せる。
平永町橋ギャラリーの雇われマスターとして、昼はギャラリーのおやじとして真面目に働き(日本一、敷居の低いギャラリーと呼ばれていた)、夜はギャラリーというより、バーと化して毎日酒を飲む(バー平永の雇われマスターのゲンヨウさんと呼ばれていた)。
そのせいかどうか、ギャラリーのクローズが決まり、フリーという名の失業者となる。
同年、個展「存命中大回顧展」をホカリファインアートギャラリーにて開催。4週の週替わりの展示替えで、毎週日曜日は、夜遅くまで搬出・搬入を行い、その他の日は、毎日飲み歩く。そのため、身体はぼろぼろになり、懐はすっからかんになる。
同年、グループ写真展「ウロボロスvol.15 霜月の契」に、『覗き観音お竹輪さま』を出品。会場管理者の手入れが入り2作品が撤去されたが、『覗き観音お竹輪さま』は狭喪な作品ではあったものの、あまりの神々しさに撤去されることを逃れる。

■1998年、「Internet Photo Magazine Japan」がバーチャルではないギャラリーをオープンするというので、立ち上げに参加する。
同年、agoo Galleryオープン。
同年、Moleが写真図書館をオープンするというので、ボランティアに行く。
同年、agoo Galleryオーナーが、病気にて入院のため、ギャラリーのクローズが決まる。私が関わったギャラリー4軒日のクローズである。

■1999年、「'99写真表現のベクトル PRINTS・銀粒子の誘惑」(ギャラリー ヒルゲート 京都)に作品を出す。
同年、東京〜大阪巡回写真展「CHILD」に出品。大阪展では会場のデッドスペースに秘密基地を造り、ショッカーと戦う。
同年、アートスペース羅針盤・須田郡司展のギャラリートーク「身体・場・写真」に出演する。
同年6月、アートスペース羅針盤「ガモリープリント二人展」に出品。

PAX Gallery資料は、江田康夫さんのwebサイトから参照させていただいています。
「Special−Gallery 21」(作品ダイジェスト)は、
「Internet Photo Magazine Japan」から参照させていただいています。
他ギャラリーでの展覧会資料も、徐々に参照できるようにしていく予定です。お楽しみに。