個展「MIRRORSHADES」(1988.11 PAX Gallery)

やっはりバッドトリップだぜい■岡俊蔵

 「もちろん違う.そういうのとは全然違う.“はっきりした現実の状況の中”って言うんだろう.すべてが正常なのに,怪物が,マンダラが,ネオンの葉巻が現われる.(中略)そんなの,いつものことさ.きみは狂ってるわけですらない.それは自分でもわかってるんだろ」
ウイリアム・ギプスン『ガーンズバック連続体』

 テクノロジーがもたらした世界.ここには,安定した時間や空間はもはや無い.W・S・バロウズは,「世界はテープレコーダーである」といっていた.
 存在するのは劣悪な虚構=廃墟だけである.

 

 ところで,彼のことである.彼が私の診察室に現われてから一年近くになる.彼とは後藤元洋のことである.その彼が,昨年の11月に“MIRRORSHADES”というタイトルの個展を目黒にあるPAXギャラリーで開催するというので,そのパンフレットに「アフター・ザ・デイ・アフターのメタモルフォーゼ/後藤元洋をテキストに」と題する短文を載せたことがあった.そこで私は彼の変容の原因は,終末の世紀末的状況が身体の変容を強制する力を内包しているという事実から来るものだと書き,実は彼のほうが我々より確実に進化した個体であり彼をテキストにして多くのことを学ばなくてはならないと結論づけた.この考えは現在でも変わっていない.ここで見逃してはならないのは「進化」とは一体何なのかということだろう.個体それ自体を観れば,「進化」以前と「進化」以後の各個体種の差異にほかならず,系から観れば,環境への高度の対応であろう.だとすれば,テクノロジーが高度に発展した現代において「進化」とは「身体の廃墟化」と同義だということになる.いやそうではない.「身体の廃墟化」というのは「進化」以前の個体による認識にすぎないのだ.だから「劣悪な虚構」は「最高の現実」とも言える.

 

 さて“MIRRORSHADES”展を観て驚いたことは会場正面の壁面全件を覆っている作品がゆっくりと呼吸していたことである.ガサガサという音と一緒にサイケデリックに装飾された壁全体がゆっくり波打ちながら腹式呼吸しているのである.おもわず,J・C・バラードの『ヴァーミリオン・サンズ』シリーズに出てくるPTハウス(向心理性建築)のことが思い出されたのである.この時点において私は確かに正常だった.
 そしてそこが,窓もなく外光の全く入らない6畳ほどの閉じた空間であり,なおかつ,サイケデリックにインスタレーションされた壁面にあてられた照明のためか,私はハイになれたのである.いや,やっぱり,バッドトリップか……

おかしゅんぞう■

(FROG GAZETTE, JUNE, 1989より)